ここで「もう言っちゃったから」とか「元に戻れない」というのは何を意味しているのだろう.ピンカーは,それはある関係(男と女は友達)を続けながら別の関係タイプから得られる利益(性的快楽)を持ち逃げしようとしている場合に,感情を直接表現すると物事に違いが生じるのだと説明している.そして間接スピーチならこの持ち逃げを可能にするのはなぜなのかと設問をはっきりさせる.
ピンカーはこの問題は自分にもよくわからないと認め,いくつかのヒントを提示するにとどめている.
<屈服のサイン>
間接スピーチを使うことにより,話し手は聞き手に,聞き手の権威や感情や体面を守ろうとしていると信号を送ることになる.これを感じることが聞き手を好意的にさせる.率直な物言いは効率的でありそのような配慮を伝えない.
<しゃべらないで,見せて>
共有の関係は言語で交渉するものではなく,儀式や饗宴や接触などの物理的なサインで神聖化されるものだ.関係を言葉で表現するという行為自体が,それが共有関係ではないということを示している.
<仮想的聴衆>
話し手と聞き手は,背景も癖も知っていて,間接スピーチの互いの意図をすべてわかっているかもしれない.しかしそこで立ち聞きしている第三者はそのような知識はなく,文字通りに意味をとるかもしれない.この考えを進めると,もしかしたら漏れるかもしれない可能性を常に気にして私達はしゃべっていると言うことになる.
<呪文を保つ>
話し手と聞き手の間の公的な関係は,観劇したり,プラネタリウムに座っていたりするような楽しい幻想だ.この幻想を間接スピーチは保てるが,直接的な物言いはぶちこわしにする.この理屈では,自分自身は自己欺瞞のために分割されていて,片方にとって信じられなくとも,もう片方の自分は否定可能性を信じることができると言うことになる.
<焦点としての確実性>
関係タイプは完全に独立してほかと違う相互作用のモードだ.そしてひと組の参加者にとってある関係タイプから別の関係タイプにスイッチするのは結構大きなことだ.そしてそれはタンゴを踊るようなもので,両者がタイミングをそろえて切り替えなければならない.その閾値は関係タイプを交渉できないのと同じでオープンには交渉できない.だからそれは声に出さずに展開させなければならない.
直接的にしゃべれば確かに線の向こう側に落ちる.そしてそれと連続した注釈の違いの差はそこだ.否定可能性はきわめて低くとも(1%や0.1%でも)ゼロでない限り,彼女はそこで決めなくとも良いのだ.